新ブログ開設「じろうチャンネル」

こんにちは。今回の記事で一旦じろうの茶番は最後にしようと思います。そして、新しく「じろうチャンネル」というブログを開設します。内容は概ね同じなのですが、YouTubeを宣伝するために1からやり直そうという算段です。今までボクのつまらない記事を読んでくださった方々には感謝しています。これからもどうかよろしくお願いします。

 

 

YouTubeリンク】↓↓

https://www.youtube.com/channel/UCC5UlTNMZ10NJvWjpeoMIVg

 

 

【新ブログリンク】↓↓

https://jir0.hateblo.jp/

 

YouTube始めます!

ご無沙汰です。突然なんですけど、ブログを始めたのは何か発信したいと思ってだったんですよね。自己顕示欲的な。発信したい欲は今でもあって、むしろ大きくなっていてYouTubeで動画を投稿していくことにしたんですよ。それで最近はそっちの方に注力してて、一旦落ち着いたので、使いこぼした分の欲で久々に今回書いてます。YouTubeを始めるにあたって同時にTwitterも開設したんですけど、3、4年くらい会っていない友達からツイートにいいねが来て驚きましたね。自分が思ってた以上につながりってあるんだなって感動しました。

 

最近、結構周りの友達でブログを始めてる人も多くて、それに感化されて、負けず嫌いが働いて、学校からの帰り道で今回の内容を考えてましたね。春休み入ってからくらいなんですけど、よく遊ぶ友達が急に勉強熱心になったり、一緒にカフェ行って勉強したりしててありがたいなーって感じです。授業がないからその分の自習ってことなんですかね。大学生の鏡です。そんな感じで自分も波に乗って頑張っていこうと思います。よかったらYouTubeも見てみて下さい。

「無意識」

月曜日の6:00 a.m.に目覚まし時計がなった。寝足りない体で右手を伸ばす。手探りで音を止めた。まどろみの中4回伸びをしてベットから這い出た。雨の音がする。少し肌寒いが1月末にしては優しい方だ。バイト開始まで15分しかないので、洗面所に行きコンタクトを付け、靴下と靴を履いた。


夜の帳も上がらない内にアパートを出て、水溜りを闇雲にかわしながら走る。集合場所に着くとその日のバイトリーダーに目も合わせずに名前を伝えて、更衣室に入った。S、M、Lと幾つかのサイズのバイト着が入った衣装ケースを無造作に開けて必要な分を床に投げそれを身に纏う。


自分が乗るべき車を見つけて乗ろうとすると右のドアが壊れているから左から乗ってくれと言われた。どうやら今日はこの車の7人で仕事をするらしい。奇遇にも仲のいい後輩くんと同じだった。片道2時間で言葉が発せられたのは運転手からのシートベルトの確認だけだった。後輩くんとしゃべることもない。


そんなサイレント車の目的地は地域の小学校だった。そこには既に10人くらいの職人がいた。車から降りた瞬間にヘルメットを支給され、着用の義務が課された。そして、言われるがままにぶかぶかのあご紐で建物に入った。そこは、物語の世界にでてくる王道の仕事場だった。ヘルメットのライトを付けてチョウチンアンコウのように獲物を探すおっちゃん、大きな声を張り上げながら指示を出すマスコットのようなおじさん、イケボで後輩をいびる典型的ないじめっこ兄さん。各々が各々の役目を果たしている。見慣れないそんな風景に少し愉しくなった。何だかマスコットおじさんのことは皆んな苦手らしい。後輩くんも苛々していた。でも、それのおかげでメガネをかけたコナンくんの様なバイトの子と仲良くなった。人は共通の敵を前にしたとき一致団結するらしい。


あれこれしている内に気が付けば帰りの車に乗っていた。行きと変わらず発せられた言葉はシートベルトの確認だけだが、なぜだか少し安心感がある。今日の仕事が無事終わったからかもしれないし、周りの人たちと少し仲良くなったからかもしれない。

ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。

幡野広志さんの「ぼくが子どものころ、欲しかった親になる。」を読みました。題名通りの内容なのですが、筆者は癌で余命3年と宣告されたので執筆を決めたそうです。自分が旅立ってしまっても当時2歳の息子が自立していけるようにと残したモノです。


本書の最大のメッセージは優しい子に育てたいというモノでした。例えば、ギブアンドテイクではなくギブアンドギブの精神で見返りは求めないという感じです。自分はそんな文章を読んでいるうちに親の存在が頭に浮かびました。時に、彼らは子に対して無条件に尽くしてくれます。自分もその経験があります。最近、ふと当たり前の事に目を向けてみると、自分はとても恵まれていることを実感します。そんな中時間を浪費してダラダラと生活していていいものかとモヤモヤが生まれています。それが理由かは分かりませんが、少しずつモノの見方も変わってきました。


本の内容からは離れましたが、親視点の考え方に触れて自分を見つめ直せたのだと思います。本書は自分たち若い世代の生き方の1つを示してくれてもいるので、興味のある方は是非読んでみて下さい。

四畳半神話大系

Amazonプライムで原作者、森見登美彦さんの「四畳半神話大系」を観させていただきました。たまたまテレビで「夜は短し歩けよ乙女」を見かけてネットで検索をかけたところ出会った作品です。全11話のアニメーションで主人公の「私」視点での大学生活が展開されています。彼は、大学入学当初、薔薇色のキャンパスライフを期待して1つのサークルを選択するのですが、毎度話の終わりに時間が巻き戻り、別の選択をした場合の生活が各話毎にパラレルワールドとして広がっていきます。

 


原作者の森見登美彦さんの作品は2つ目なのですが、毎回今までにはない無類の魅力を感じてしまいます。「夜は短し歩けよ乙女」を小説で読んだときは、言葉選びの巧みさ故に、学のない自分でも読み耽けてしまって気付いたら朝になっていました。関係ないのですが、読み終わった時にはお酒が飲みたい衝動に凄いかられました。今回の「四畳半神話大系」も同じ理由で魅入ってしまいました。主要な登場人物に大学8回生の仙人の様な男がいるのですが、その人物になぜか憧れを持つ自分がいました。彼は大学生の究極体です。そうなってはいけないのは頭では皆んな分かっているのに、他からすると魅力的なのは不思議なもんですね。

 

 

それで、途中まではこの作品の独特な世界観に魅了され一心不乱に観ていたのですが、中盤になると話の展開が似通ってきたこともあり、余裕ができて少しずつ風刺として捉え始めました。今の自分の現状と照らし合わせて、結局は自分が変わらないといけないんだなーと感じさせられました。堕落した生活を続けて、他人にすがって生きていても、いつか虚しさに耐えかねて死にたくなるのは自分らしいです。如何なる環境でも自分さえ上手く咲かせることが出来れば幸せの蜜を吸えそうな感じでした。結果、以前の自分よりは行動していこうと決意し、些細な武者震いを感じました。

読書する人だけがたどり着ける場所

今回も読書感想文です。齋藤孝さんの「読書する人だけがたどり着ける場所」についてです。帯には知識・思考力・認識力が深まる本の読み方と書いていました。以前にも何度か同じようなタイトルの本を読んだことがあるのですが、概して同じようなことを言っていたような気がします。例えば、現代まで残る古典は何か普遍的な良さがあるよとか、批判的に読むといいよとかやっぱりそうなんだなぁと思いました。

 


このような類の本によく書いてあることの1つとして、本を読み終わった後はアウトプットをしろとあります。人に話すでもいいし、文字に起こすのも見返せるからなおよし、みたいな感じで。今回もあった気がします。というわけで今、読書感想文を書いているのですが実践してみて確かに楽しいなーと思います。文章を書くというのは頭の中にある抽象的なイメージを集めてきて、色々考えて、上手くニュアンスを伝えられる言葉をチョイスしなければなりません。まだ、ボクは読書に慣れていないので、その瞬間に思考を働かせるのが苦手です。ただ情報を鵜呑みにして、へぇー知らなかった、と感じてなんだかぼんやりしたものが残るだけです。しかし、こうやって最後まで読み終わった後に時間をとってゆっくりと本の内容を思い起こしながら文章を書いていると内容の復習になるだけでなく、内容をツールに普段考えないようなことにまで思いを馳せることが出来ます。最近、実はこれが読書の醍醐味ではないかと思っています。皆さんも是非やってみてください。

 


最後に、いくつかの本がこの本の中で紹介されていたのでメモ的に載せておきます。ちなみに、これらは人生の機微に触れる名著らしいです。

・「オディプス王」 ソポクレス
・「人間失格」 太宰治
・「こころ」 夏目漱石
・「銀の匙」 中勘助

ケーキの切れない非行少年たち

今回は読書感想文を自分なりに書いてみようと思います。宮口幸治さんの「ケーキの切れない非行少年たち」についてです。この本は、軽度知的障害、境界知能を持った子供たちには実は皆さんが想像するよりもこの世界は生きづらくできているので、それが少しでも良くなる社会を作りをしましょうと言うものです。筆者は児童精神科なので彼らに寄り添った目線で書かれています。

 

例えば、隠れた障害の為に授業などで先生に注意されたり、成績が振るわなくなり非行に走った少年がいたとします。その子が少年院に入った時、ひたすらに犯した罪の反省をさせられるらしいです。そうして、その罪の重さをしり適切な社会性を身に付けさせ再発防止に努めるらしいです。しかし、仮にその子がそれを考える力が無かったらどうでしょう。一方的な押しつけになってしまって、より非社会的になるかもしれません。もしそのようなケースの場合、職員がその子の思考力は一般に行っている更生プログラムには届いていないことを認知し、その子のレベルにあったプログラムを組んであげなければ、その子の為にも社会の為にもならないのです。現在の知能レベルを測るテストでは境界付近にいる軽度の子達は素通りで、テストの結果はそうでない子と同じになってしまうそうです。その結果様々なところで問題が生じるのです。そして、その現状にほとんどの当事者たちが気付いていないらしいです。つまり、これらを解決していくためには、先ずは軽度知的障害、境界知能の子達の存在を知り、彼らにとってこの世界は想像よりも生きづらいということを認識して、そこから彼らへの関わり方を学んでいかなければならないのです。

 

上記のようなことがこの本には書いてありました。結論としては今までの悪い常識には囚われず、少しずつやり方を変えていきましょうと言うことでした。最近の教養新書の欄にある本にはありがちな形です。世界が急速に成長している今、各分野の人が横断的に物事を捉えなければならない事は分かります。しかし、いつも思うのですが現実的には何十年、何百年とかかる話のような気がします。自分が無知過ぎるだけかもしれませんが。そして、そのときにはまた新しい問題が発生しているかもしれません。無駄だとか言っているのではなく、単純に自分が生きている世界は壮大で不思議だなと感じます。1つの本で1つのテーマを取り上げてそれの現状、問題点、理想、筆者の解決案を知ることは教養が高まり楽しいです。それに加えて、大人が考える理想と自分が感じている現実のギャップについて考えることもより楽しいです。